スメタナ(1824 - 1884)
弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調 「わが生涯より」
1884年に60歳で亡くなったベドルジフ・スメタナの最後の10年間は、肉体と精神の両面において、彼の健康の漸進的かつ全面的な崩壊の年月であり、同時に彼の最も偉大な作品のいくつかがもたらされた年月であった。第2曲に「モルダウ」を持ち、スメタナの代表作とされる6曲からなる連作交響詩「わが祖国」、数曲のオペラ、そしてふたつの弦楽四重奏曲がこの時期の産物である。
オペラ「売られた花嫁」においてもっとも見事に示されているように、スメタナは他のチェコのどの作曲家よりも、国民感情の流れに寄り添う音楽言語を展開した作曲家であった。彼は成功した指揮者であり、劇場支配人であり、プラハの音楽界の中心的な人物であった。しかし50歳になった1874年の夏、病気の最初の兆候があらわれると、それはすぐさま耳の異常へとつながり、数ヶ月後には完全に聴覚を失ってしまう。現役の音楽家とし活動することはできたが、保守派からの攻撃にも遭い、翌1875年、あらゆる公職を捨ててプラハの北東62kmのヤプケニツェ村に娘夫妻をたよって隠遁し、そのなかで重要な作品群を書き続けていく。しかし最後には発狂してプラハの精神病院で生涯を閉じることになる。病名は脳梅毒であった。
ヤプケニツェ引退後の1876年10月に書き始められ、その年の暮れに完成したこの弦楽四重奏曲「わが生涯より」は、タイトルが暗示するように彼の最後の悲劇的な人生におおいに関係しているといわれる。というよりスメタナ自身がそのことを友人宛の手紙のなかで説明しているので、それをここで引用しておこう(佐川吉男氏の訳を一部改変して引用)。
「この作品は私の人生の思い出と、完全な失聴というカタストロフィーを描いた」
「ありきたりの形式の処方箋や慣例にしたがって弦楽四重奏曲を書くつもりは最初からなかった」
「第1楽章は私の青年時代の芸術への偏愛、ロマンティックな雰囲気、よくわからない何かへ名状しがたいあこがれ、それと将来へのある種の不吉な予感を描いている。(持続する高いホ音の譜例を示して)終楽章で長く引き伸ばされる音はこれに由来している。それは1874年に私のつんぼのはじまりを告げたあの高音域での宿命的な耳鳴りにほかならない。それがあまりにもむごい出来事だったので、このちょっとしたいたづらをしてみることにした」
「第2楽章はポルカ風の楽章で、私の心に楽しかった青春の日々をよみがえさせる。そのころ私はダンス音楽を作曲し、いたるところで熱烈なダンス狂として知られていた」
「第3楽章――この四重奏曲を演奏した方々のご意見では演奏不能という楽章である――は、後に私の忠実な妻となる初恋の少女との幸福な思い出を呼び起こす」
「第4楽章は民族的な要素を音楽で扱う道を見出し、せっかく仕事が軌道に乗りだして喜んでいたところ、待ったがかかり、つんぼになるという悲劇的な結末が訪れるさまを描いている。それに、悲惨な先の見通しや、回復への一抹の希望も描いている。だが、それまでの私の先行きが楽しみだった経歴を思い起こすと、やる方ない無念さが胸に込み上げてくる」
やや饒舌に過ぎるとも言えなくもないこの説明は曲の完成から1年半から2年を経て書かれたものだが、曲の理解に不可欠なものなのだろうか、あるいはまた作曲者の説明に従って曲を理解しなければならないのだろうか。多くの点でシューベルトの伝統にしたがったこの作品を楽しみ理解するために、作品が物語的要素を持っていることを知る必要は必ずしもあるわけではない。音楽は言葉を置き去りにして、音楽の論理に沿って展開せざるをえないという面が必ずあって、個々の楽節はスメタナそのものだとしても、4つの楽章は古典的ともいえるバランスの上に成り立っており、曲の最後で以前の主題が回想される点も、リストの交響詩やピアノ協奏曲以降の19世紀音楽で一般的となりつつあった慣例に他ならならず、「わが生涯より」を音楽そのものとして楽しむ上で、先のスメタナ自身の解説は屋上屋を架すものといわざるを得ない。この作品を正しく理解するには、スメタナの解説を冷静に受け止める視点、民族的要素をばらまきながらも古典的な音楽の論理にしたがって美しい造形をかたちづくる音楽を、音楽そのものとして楽しむ視点、こうしたいわば複眼の視点が求められるだろう。
■第1楽章 アレグロ・ヴィーヴォ・アパッショナート、ホ短調、2/2拍子、自由なソナタ形式。第4小節からヴィオラが決然と奏でる切迫した第1主題、そこにト長調に転じて第1ヴァイオリンが歌うロマンティックな第2主題がからまって曲が展開されていく。
■第2楽章 アレグロ・モデラート・ア・ラ・ポルカ、ヘ長調、2/4拍子、3部形式。まさしくポルカ風のスケルツォで、曲頭から全楽器がユニゾンで奏する正主題が、続いてポスト・ホルンのファンファーレを思わせる副主題が現れ、それらはトリオをはさんで繰り返される。
■第3楽章 ラルゴ・ソステヌート、変イ長調、6/8拍子、自由な変奏曲。チェロの物悲しい独奏に導かれ、7小節からそのオルゲルプンクト(低音の持続音)上に和声的な主題が展開されていく。
■第4楽章 ヴィヴァーチェ、ホ短調――ホ長調、2/4拍子――4/4拍子、ソナタ形式。冒頭の第1主題の活気とエネルギーは歌劇「売れれた花嫁」を彷彿とさせる。スケルツォーソと指示された第2主題の楽しさも並外れたものである。曲は快調に展開していくが、再現部の終わりで突然全楽器が休止し、不吉なトレモロとなって第1ヴァイオリンが高いホ音を保持し、以前の主題を回想して静かに曲を終える。
アプローズ453 田村敏久
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