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ヤンドー特集〜僕らの愛するピアニスト、イェネー・ヤンドーのお話をさせていただきます

ヤンドー3
1997年9月のブラームス・フェスティバルでのソロコンサート。プログラムはソナタ3番、バラード作品10、ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ。バラードには不満があったが、ソナタとヘンデルは文句なしの出来で、ヤンドーの数多いコンサートのなかでも演奏内容、聴衆の盛り上がりの両面で最上位にランクされるものとなった。自由奔放とも見える演奏を支えているのは、この演奏姿勢の良さと合理的かつ端正きわまりない指使いにあり、これなくして彼の演奏はあり得ないと思わせる。(撮影:最上慎一)


ヤンドー・サイン会
同じく1997年9月のブラームス・フェスティバルでのサイン会の一コマ。ごく親しい日本人からは「変なおじさん」と呼ばれているとか。本人はこれに加えて、「おじさん」ではなく「おじいさん」と言って周囲を笑わせている。茶目っ気たっぷりの人柄と迫真の音楽を奏でる演奏家は結びつかないようにも思われるが、このミスマッチが本当のところ意味があるのかもしれない。お隣りの方は通訳をお願いした和平伴子さん。


ヤンドーCD
2001年10月に発売されたバルトーク・ピアノ曲全集第1集(NAXOS 8.554717)。録音はかなり進んでいるようで、これは1998年11月の録音。2002年になって第2集がリリースされた。まだ聴いていない人は買って聴いて絶対に損はしないことをお約束する(私はCDメーカーとは一切無関係です。念のため。)収録曲はソナタ、組曲他。


《2002年のヤンドー情報》
 ハンガリーのピアニスト、イェネー・ヤンドーは今年50歳を迎えた。母国ではコシュート賞(日本でいえば国民栄誉賞みたいなものか)を貰っている名士だからでしょう、そのお祝いだとかで1月の10日間で6回のリサイタルをこなし、誕生日の2月1日にはリスト音楽院大ホールでブラームスの2曲のピアノ協奏曲を一度に演奏するというとんでもない演奏会を催したそうな(この演奏会は別の都市でもう一度開催された)。そのなかで演奏家人生初のショパンリサイタルを行い、今回の「アプローズ秋の音楽祭2002」でのショパンプログラムはその再演にあたる。自分はショパンを勉強する時間がこれまでなかったと小樽で言っていたヤンドーだが、数年前に「ブタペストの春」音楽祭で著名なピアニストでもある友人のゾルターン・コチシュの指揮のもと、ショパンのピアノ協奏曲第1番を初めて演奏したと喜々として知らせてきていたから、徐々にショパン演奏に関心が移っていったらしい。これは実に興味深いことに思われる。日本では初心者でもショパンを弾かない者はいないほどショパンが広く流通しているけれども(そしてショパンはこんなもんだという一定の観念が幅を利かせているけれども)、ドイツ・オーストリア音楽の本流を極め尽くしたうえでのショパン演奏となれば、おなじショパンでも話しは相当に違ってくるだろう。時流にとらわれない、濃密な味わいをもった斬新なショパン演奏が期待される所以である。ところでショパンっていったい誰だ。この本質的な問いに未だ明確な答えが見つかっていない状況で、ヤンドーはそのひとつの確乎としたテーゼを提示してくれるものと、僕はひそかに大きな期待を抱いている。

《小樽でのヤンドー》
 CD演奏に魅せられて1995年にはじめて小樽に来てもらってから、ヤンドーの小樽での演奏は今回で10回目と11回目(川田知子とのデュオ)にあたる。ほぼ毎年、小樽を訪れているわけで、こんな田舎町にしては驚くべきことといえるのではないか(自分等のことを他人様に驚けというのは気持ち悪いですね)。世界には、そして日本にもピアニストはごまんと居るわけで、知り合いだから呼ぶなんていうほどに僕たちはお人よしではないし、金銭的・時間的にそんな余裕があるはずもない。ただひとつ、ヤンドーの演奏を聴きたいし、聴いてもらいたいから呼んでいる。小樽でも何人かの著名なピアニストが演奏しているが、ヤンドーほど毎回ホットな音楽を届けてくれるピアニストはいない。初回のリスト:ピアノソナタから、シューベルトのハ短調ソナタ、ブラームスのソナタ3番とヘンデル変奏曲、ハイドンの後期ソナタ、さらには前回のバルトーク(ソナタ、組曲、8つの即興曲、3つのブルレスク)等々、僕らは音楽の熱いメッセージをヤンドーからどれほどもらったことか。うれしいのである。音楽がこれほど人間を幸福にしてくれるものなら、音楽会を作る困難はただ越えられるべき対象としてしか存在していないように思えてくるのだ。
 ヤンドーがいっぱしの芸術家だったら、ここまで長く付き合うのは難しかったかもしれない。ギャラもデフレ状態のなか、聴きたいから呼ぶ、演奏したいから行くという、単純素朴な関係を受け入れる彼の職人気質がこれほどの継続をもたらしたのだと思う。本物の芸術家に巡り合えた僕たちは幸せである。

《CDのヤンドー》
 ヤンドーが世界でもっともCDが売れているピアニストでありながら、そのことによってこそ専門家まがいから揶揄の対象にされているらしいのは僕も承知している。昔からベートーヴェン弾きとかモーツァルト弾きがいるんであって、ベートーヴェンもモーツァルトもハイドンも、そしてリストもバルトークも弾くなんてとんでもない奴だとね。本当だろうか。確かな力量に裏付けられて、あらゆる音楽をそれが音楽だからこそ、どん欲に自分の中に取り入れて表現したいという、なにものにもとらわれない演奏家の姿勢を否定するほうがどうかしている、僕にはそうとしか思えない。ベートーヴェン弾きがいてもいいし、ヤンドーみたいにあらゆる音楽を弾く演奏家がいてもいいのである(ヤンドーはドビュッシーも得意だと言っていた)。どちらが演奏芸術の未来を切り開くのかは歴史が証明するはずだ。はっきりしているのは、視野の広さにおいて違いがあること。バルトークからみたベートーヴェン演奏なんて芸当はベートーヴェン弾きには無理な話だろう。ベートーヴェンしか知らないんですから。事実このことはヤンドーの演奏に現れていて、つねに音楽をして自ら語らしめるという客観性が働いていながら、音楽はその客観性とは無関係に生き生きと語りかけるという構図になっている。だから聴いていて気持ちいいことこのうえない。
 CDでのベートーヴェンとハイドンはスタンダードといっていい完成度を持っているし、一般の評価は知らないがモーツァルトもすばらしい。内田光子やシフ、ペライア、バレンボイム等のモーツァルト演奏を知らないわけではないけれども、産地直送の旬の野菜のようなストレートな味の濃さと深さにおいて、ヤンドーのモーツァルト演奏は格別の存在だ。どちらかというと得意なはずのリストで最近のものに面白みに欠けるものがみられるが(ソナタの旧録、「巡礼の年」全3巻は名演)、一番新しいバルトークは燦然たる出来栄え。バルトークの音楽がハンガリー語のなまりと密接に関係しているとヤンドーは小樽で熱心に語っていたが、そこを踏まえた演奏がバルトークの音楽にどれほどの生命力と迫真性を与えるかは、この演奏が如実に示している。生演奏でバルトーク音楽の比類のない輝きを教えてれたヤンドーが、CDでもバルトーク革命を実践しているのだ。(文・田村敏久)


■今回の来日では小樽以外でもヤンドーのコンサートがあります。下記の紹介ページをご覧下さい。
イェネー・ヤンドー ピアノリサイタル岩見沢2002
アグネス・ギーベル/徳永ふさ子/イェネー・ヤンドー 歌曲の夕べ2002

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